【同窓会会報の巻頭に掲載されたものです。上記より前のものは「同窓会会報」をご覧ください。】

『戊辰150周年に思う』   在京会津高校同窓会会長 大越 康弘(高13回)

平成30年6月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

   今年は戊辰戦争150周年に当たる。戊辰戦争において会津藩は敗れ、その後辛酸を舐め、困難を極めた。その後時期を経てそれを振り返り、会津は大義を貫いたが、朝敵の汚名を雪がれ悲劇を招いたと多方面から同情を受けている。今150周年を迎え、同情を抱かれるだけでいいのであろうか。
 戊辰戦争に於いて、会津は国を失い、戦いで幾多の武士が死に、家族、庶民等も大勢巻き添えを受けて犠牲となった。また戦後は不毛の地斗南に追いやられて塗炭の苦しみを受けた。この戦いに敗れ、犠牲を払い、苦しみを味わうことになったのは、薩摩・長州のせいであり、許せないというだけでいいのだろうか。
 幕末の歴史を眺めると、当時英国をはじめとする列強は、インド、インドシナに進出、侵略し、更に中国に進出してアヘン戦争で清の領土を占領して植民地政策を強要していた。これらの外国事情は然るべき日本の為政者も承知しており、日本も同様の侵略を受けるのは避けねばならないとの思いが強かった。
 このよう状況にあって、黒船の来航、通商条約の強要へと推移し、武力を背景に開国を求める列強に対し、国を守る対応策をどうするか、未曽有の困難の中で、天皇から国の施政権を委任されている譜代大名中心の徳川幕府はその責めを本当に果たせるのか、という危機感が指導層の中で強かったように思う。
 その中で会津藩は、先ず老獪な幕閣達から主君への忠義の遺訓を下に京都守護職を押し付けられ、禁門の変後は徳川幕府排除を目指す嘗ての同盟薩摩藩に裏切られ、幕府軍による二次長州征伐においては懲罰を貫こうとして鉾を納めようとする江戸幕臣から疎まわれ、孝明天皇の信任厚かったものの次の天皇に受け継がれず、最後は統率力なくひらめき型英君徳川慶喜からも離反され、裏切られることになった。また戊辰戦争では32藩による奥羽越列藩同盟で団結したかに見えたが、結局諸藩が抜け落ち会津藩は孤立して最後を迎えた。戊辰革命戦争とも言うべきものだろう。
 これは会津にとってまさに歴史上の悲劇のように見えるのだが、これは何に寄るのだろうか。会津としても、このような悲劇、悲運を避けるため歴史の過程の中で何かを成すべきではなかったか、それは何であったろうか。そういったことを考え、歴史に学びながら、これからの会津の発展に生かしていくべきではないかと思う。

『同窓会の人の輪を拡げよう!』   在京会津高校同窓会会長 大越 康弘(高13回)

平成29年6月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 今年4月の同窓会総会で石田桂久氏の後をついで会長に選任された大越です。在京会津高校同窓会は昭和29年に創設されておりますので、66年が経過しており、私が第6代目の会長ということになります。これまで石田会長の下4年間副会長を務めてきましたので、会の実態は承知しているつもりですが、これから他の役員の協力を得ながら同窓会の発展のため努めてまいりたいと思います。また、石田前会長には4年間大変ご苦労様でした。会員一同に代わりまして心から感謝申し上げます。
 同窓会の目的は、会則にもありますように、会員相互の親睦を密にすることと母校の隆盛を図ることにあります。会員相互の親睦を密にすることとは、相互に親睦を図り、切磋琢磨し、もってそれぞれの会員の人生を豊かにすることだと思います。
 会員は現在2千名程ですが、これは首都圏に在住する会津高校卒業生全体に比し少数であり、また高齢者に偏りがあります。従いまして会を発展させるためには、卒業生の皆さんが同窓会に「参加してみよう」という気にさせるような活動内容及び運営をしていく必要があると痛感しております。
 活動内容としましては、総会の外、文化講演会、歴史探訪の旅、芋煮会、ゴルフ、麻雀など趣味同好会的なことをやってきましたが、働き盛りの比較的若い会員にも参加インセンティブを持ってもらうために2年ほど前から諸般の情報交流ができ、仕事上でも有益となる世代交流会を行っています。そしてまた今年から、卒業して大学に学ぶ大学生に対し世の中の大きな動き、経済社会動向や就職活動などについて学識・経験豊かな諸先輩の話が聞け、相談もできる学生セミナーを始めることにしました。
 このように活動内容を充実しても参加するか否かは個人個人の判断であり、この判断を左右するのが友人からの誘いです。一人で行ってもつまらないと思っても、友人と一緒なら久しぶりに友情を温め、人の輪となって談笑できるので行く決心が出来るようです。このように友人を誘う役割を担ってもらおうとしているのが学年幹事です。どのような会でも幹事が仲間を誘い纏めると持続するいい会になるものです。そのようなことで、同窓会においてそれぞれの学年でいわゆる面倒見の良い人に是非学年幹事を引き受けていただきたいと思っていますので、自薦他薦をよろしくお願いします。それからサークルのOB会などは先輩後輩の結びつきの強いので、リーダーの方に声掛け合って参加してくださるよう是非お願いしたいと思います。
 人の縁は非常に大事なもので、その人と知り合いになれたために人生が開かれたとか、その後転機が訪れたということがよくあるわけでして、是非とも同じ会津高校を出た者同士という縁、絆を大切にして、場合に応じて助け合い、励まし合ってより良い人生にしていただきたいと思います。同窓会としましてもこのような絆、人の輪を育てられるような会にすべく努力してまいりますので、皆様方のご提案、ご支援とご協力をよろしくお願いいたします。

『日本の美徳を取り戻そう』   在京会津高校同窓会会長 石田桂久

平成28年6月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 平素より同窓会の活動・運営に関しましてご支援ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。 平成28年度総会もお蔭様で盛会裡に終了することができました。有難うございました。
 さて、会報54号刊行にあたり最近感じていることの一端を述べてみたい。最近悲しいことに本来の日本人の美徳であった節度と慎ましさが無くなってしまったと思えるような事件が毎日のように報道されています。一昔前までは日本を訪れた外国人がその精神性の高さに驚き、尊敬の念を抱いて称賛したものでした。それが昭和20年8月の大東亜戦争終結以後、政治や経済をはじめ教育や家庭まで米国流に統制されました。その後独立をしたものの占領中に洗脳されたままの状況が現在まで続いており改善がなされておりません。例えば日本人の美徳であった「親孝行」「信義に生きる」「和を以って貴しと為す」こと等が忘れられつつあるように思います。こんなことが続けば日本は沈没してしまうでしょう。沈没を回避するために日本の古き良き伝統に支えられた日本の美徳を取り戻しましょう。 まだ間に合うと信じています。
 先ず大義に生きる日本人としての誇りをしっかりと持つことが基本であります。そのためには日本の歴史をしっかりと学び日本人としての伝統的な価値観を体得することが必要です。生きることは学ぶこと能動的な自己啓発が大切であると考えています。
 昨今電車に乗ると乗客の約8割近い人がスマホに夢中になっているのが目に写ります。 そのうちの約8割がゲームに熱中しているとのことです。ある著名な評論家が「このスマホ人の群れを眼にすると吐き気を催されてならないので電車恐怖症に罹り電車に乗れなくなった」と言っていますが、私は吐き気は催さないまでも、直感的になにか大事なものが欠落しているように感じています。そういえば川島廣守前会長が電車の中で昔は書物を読んでいる人が多かったか、現在は携帯電話(当時はスマホと呼ばなかった)に夢中になっている人が多く今後の日本人の思考力に陰りがでるのではないかとお話しなさったことを想い出します。本居宣長が詠んだ「をりをりにあそぶ暇はある人の暇なしとて書読まぬかな」がありますが、なぜ「活字離れ」が起きたか、その原因の一つにテレビの普及があるといわれています。テレビを見るのに何一つ努力はいりません。IT機器の多機能化がそれを助長する情勢になっています。スマホもテレビも映像は、読書と比べ受動的であり目を開けていれば見ることができます。読書の場合は自分が能動的に読もうとしない限り頭には入りません。学力と理解力と想像力が要求されるのです。一般論としてですが、テレビのなかった時代の学生と比べ、生まれた時からテレビがあった世代は思考力の養成に一段と意識的な努力が必要であり気の毒であると云われています。
 そこで能動的な自己啓発の第一は何と言っても読書であります。人間は経験を積み重ねて自分を成長させていくわけですが、我々が実際に経験できることは、時間の制限もあり地理的な制限もあり、限りがあります。しかし、読書をすることにより年代を超えて地理的な条件もクリアーして実に何十倍、何百倍の学びを得ることができるのです。
 読書によって人間形成を果たした人は実に多い、自己実践の糧として「人生いかに行くべきか」の知恵と勇気を培うことができるものと確信いたします。 最後に何といっても日新館の「什の掟」が取り戻すべき日本の美徳の基本と言っていいのではないかと考えます。(但し現在では戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬを除く) また、随筆家志賀かう子さんが祖母から教わったこととして「ほかの時はいざ知らず、ごはんをいただく時は、お膝をくずしてはならん。それがごはんへの感謝と礼儀です」があります。食以前に作り手を含めた農があり、天地自然の恵みがあることへの感謝が日本の精神であります。 日本の伝統文化に誇りを以って歴史を学び、日本の美徳を取り戻しましょう。

『名言に人生を学ぶ』   在京会津高校同窓会会長 石田桂久

平成27年11月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 今年も私の大好きな爽やかな秋がやってきた。食欲の秋、瞑想の秋、読書の秋、天高く馬肥ゆる秋、実りの秋、芸術の秋‥など秋は様々な形容が多い季節である。いずれも生命活動の充実に一番よい季節であると感じている。川島廣守前会長にご教示頂いた「生きることは学ぶこと」を信条とし何からでも学ぶよう心掛けているが、何といっても人から学ぶことが多い。勝れた人との交流から直接学ぶことも勿論であるが、面識はなくても読書によりその人の言葉や伝記からも多くの学びを得ることができるものである。感動した名言を書斎の壁面に貼り毎日心の支えにしている。思索の秋に今までに出会った名言について思いを巡らしてみたい。
 2016年アメリカの大統領選挙があるそうだが、共和党の指名獲得を目指す候補者に、元米ヒューレット・パッカード(HP)の最高経営責任者(CEO)であったカーリー・フォーリーナ氏がいる。彼女の人生哲学としてし知られる次の言葉がある「人生は選択肢だらけよ。何かを選ぶためには何かを捨てなければいけない。でも後悔しないわ。いつも完璧な選択ができたわけじゃないし、勘違いもしてきた。それでも後悔はしないの。」(2003年7月21日HPホームページインタビューより)。
 正にその通り人生は選択の連続である。決断に際し迷うことも多いし、往々にして間違った選択ををすることもあり得る。ここで悲嘆にくれくよくよと後悔するのではなく、どうすれば事態が解決するか、何をすべきかを考えることが必要であろう。しかし人間は弱い後悔してしまうものである。しかし彼女の心の姿勢を見習いたい。受付から身を起こし巨大企業のCEOになった女性の言葉だけに説得力があり人生の大事な教訓と受け止めるものである。 そういえば、文芸春秋社の社長を務め作家でもあった菊池寛氏が人から揮毫を請われると好んで「我事に於いて後悔せず」と書いておられたと聞いたことがあるが、これは巌流島の決闘で有名な宮本武蔵の「独行道」の中の言葉である。宮本武蔵は生涯の60余回の決闘に一度も後れを取ったことがないという剣術のほか、絵画・彫刻にも優れていたという。学ぶべきことが多い奥の深い人生の達人である。 洋の東西を問わず魅力ある人間の心持ちは共通である。さらに「後悔はしない」という強靭な精神は現状を素直に肯定するということにも繋がる。赤塚不二夫さんの代表作の一つ「天才バカボン」の中のバカボンパパが口癖のように「これでいいのだ」と言い切っている。これは人生を生きる上で豊かな人生を築くための大事な知恵と言えるのではなかろうか。直面した事態が嬉しい事、歓迎すべきことである場合は勿論のことだが、苦難に直面したしたときでも、いやそのときこそ愚痴や文句を言うのではなく「これがいいのだ」と現実をむしろ歓迎することが困難な事態を好転させることになると信じている。苦難はむしろ歓迎すべき救いの女神である。事業でも家庭の事でもこの心境で努力した人が奇跡的とでも言いようのない成功をつかんだ事例は多い。
 さて、学ぶべき貴重な名言がもう一つある。ご存知の明治維新の精神的指導者・理論者として知られる長州藩士吉田松陰の言葉である。 「夢なき者に理想なし・理想なき者に計画なし・計画なき者に実行なし・実行なき者に成功なし・故に夢なき者に成功なし」 「志を立てて以って万事の源となす」ということであるが、これが意外と難しい。心にしっかりと刻みたい言葉である。高杉晋作、桂小五郎他幕末維新の指導者を多く育成したこの偉大な碩学から学ぶべきことは限りなく多い。吉永小百合の歌に「いつでも夢を」があるが、自分は「死ぬまで夢を」持ち続けたい。最後に数年前より書斎に掲げ毎朝心を引き締めている九条武子夫人の歌を紹介して筆を擱く。 「見ずや君 あすは散りなむ花だにも 力のかぎりひと時を咲く」。

『会長再任に当たって -明るく 仲良く 喜んで-』   在京会津高校同窓会会長 石田桂久

平成27年6月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 同窓生の皆様におかれましては、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は、同窓会の運営・活動につきまして格別のご高配を賜り、誠にありがたく厚く御礼を申し上げます。
 このたび、平成27年度総会におきまして再任され、2期目を迎え会長職を2年間務めさせていただくことになりました。責任の重さを痛感し身の引き締まる思いでございますが、皆様の温かいご支援とご協力を頂き、この歴史と伝統のある同窓会を着実に発展させていきたいと考えておりますので引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
 早いもので前会長川島廣守様がご逝去されてからあしかけ3年になります。毎日、ご指導いただいたことへの感謝をこめて、自宅の仏間の遺影に手を合わせご冥福をお祈りし、お元気であられたころの貴重なお言葉をかみしめ、毎日の行動指針にさせていただいております。「生きることは学ぶこと」の川島前会長の訓えに沿って人間としての研鑽に励み、同窓会活動に臨む所存でございます。
 さて、私の同窓会活動の基本スタンスとして「明るく 仲良く 喜んで」を掲げたいと思います。
 第一は「明るく」でございます。人間誰しも明るいもの、温かいものを好み、暗いものには生理的に嫌悪感や猜疑心を持つものです。明朗は万全のもとであり意識的に明るく考え、明るく行動し、明るく話すことが大事であると考えます。詩人金子みすずさんの私の好きな詩「明るいほうへ」を引かせていただきます。

「明るいほうへ」(金子みすゞ詩集より)
明るい方へ 明るい方へ 一つの葉でも 陽の洩るとこへ 藪かげの草は
明るい方へ 明るい方へ はねは焦げよと 灯のあるとこへ 夜とぶ虫は
明るい方へ 明るい方へ 一分もひろく 日の射すとこへ 都会(まち)に住む子らは

 第二は「仲良く」でございます。職場や団体、人が集まるところには必ず自分と違った感じ方をしたり異なった価値観や考え方を持っている人がいるものです。人それぞれ性格も違い生まれ育った環境も異なればそれは当然でありましょう。しかしその違いがあるからこそ、行動に広がりや深まりが出てくるのではないでしょうか。自分にない考え方や方法を学ぶことができると考えられます。実はそこが、大きなメリットであり交際の醍醐味でもあるのです。違いを認め、受け入れることのできる心の寛い自分に成長したいものです。熱心さのあまり意見が衝突することもありますが「和して同ぜず」が基本です。難しいことかもしれませんが、お互い責め心のない厳しさと馴合いでないない優しさを併せ持って、和を醸し出し仲良く活動に励みたいと考えています。
 第三は「喜んで」でございます。何事をなすにも押し付けられていやいややるのと自分から進んで喜んでやるのとでは、成果に大きな違いが出てくるものでございます。論語に「何事も楽しめるようになれば本物である」との教えがあります。同窓会活動を楽しみ、人様のお役に立つことを我が喜びとして取り組んで参ります。
 本年も誇りうる歴史と伝統の会津高校の名に恥じることのないよう同窓会及び母校発展のために誠心誠意尽くしていく決意でございます。幸いにして当会はボランティア精神に富んだ献身的で有能な役員並びに幹事の方々によって運営されております。同窓会と母校発展のために、明るく、仲よく、喜んで会の運営に当たっていく決意でございます。どうぞ会員の皆様方にもこの会の活動を盛り上げて下さいますようご協力、ご支援をお願い申し上げます。  合掌


『思索の秋に思う -充実の人生を生きよう-』   在京会津高校同窓会会長 石田桂久

平成26年11月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 人は誰でもこの世に生を受けたからには幸福を願い「よりよく生きたい」と充実の人生を望んでいるものと思う。しかし人生思うようにはいかず悩みを抱えている人も多い。そこで充実した人生を生きるためのヒントとして私見を述べてみたい。
 まず目標の設定である。夢を描けば人生が楽しくなる。こうなりたいという強い願望を持ちそれに挑戦する人生が充実した人生につながる。夢、目標があればそれを実現するために自分を鍛え上げていくものである。大事なのは「求める強い思い」である。それがないと毎日を怠惰に過ごしやすく、張りの無い人生となってしまう。強い願望は必ず実現するといわれる。また漠然とした目標では達成しにくい。具体的で明確な目標設定をしそれを書き出す事がポイントである。書かれざるものは実現しないという。そして目標を定めたら弱気になってはいけない、自分はこれを必ず実現できるという強い信念を持ち途中で挫折することなく継続する事が肝要である。加えて到達目標に対する実行計画を綿密に作成する。さらに良き協力者が存在すれば達成確率は飛躍的にアップする。
 次に、自己啓発の推進である。川島廣守前会長が「人間は学び続ける存在である」と口癖のようにおっしゃっていたが、人間幾つになっても学ぶ意欲があれば限りなく成長し充実した人生を生きることが出来るものと確信している。学びに終わりはない。学びの基本は、何からでも学ぶという貪欲な心であり「吾以外皆吾師」と心に銘記すべきである。まずは人(師匠・先輩・友人)であり自分のメンターとして慕い仰ぐ人が多ければ多いほど成長できる。人生は出逢いである。出逢いを大切にしたい。哲学者森信三先生の言葉に「人間は一生のうち会うべき人には必ず会える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」がある。ご縁を感謝しその縁を育てていくことが肝要である。また現実に会える人に限らない、本を読むことで多くの師として仰ぐ人物に巡り合えるものである。ことを成した人の伝記には「いい師に出会う」場面が沢山出てくるものである。読書は自己啓発の最大の手法と言ってもよい。読書によって人間形成を果たした人は限りなく多い。特に歴史に残る偉人の生涯をたどる時「如何に生きるべきか」の示唆を与えてくれる。その他通信教育、研修会、講習会への参加、資格試験への挑戦等その気になれば学ぶチャンスは多種多様に存在する。テレビを観ても然りである。
 次に、人間関係の構築である。生きるということは、人間関係にどう対応するかという事でもある。人間は一人ひとり顔かたちが違うように考え方も違っている。多種多彩な人間が、関わりあって生きている社会において、スムースな人間関係がどうしても必要であろう。
 また、人間関係ははじめから良好な関係があるわけではない,自分が正しければ何の努力もなしに人間関係がうまくいくと思っている人がいるがそれは甘すぎる。積極的に良くしようと努力しなければ好転しないと認識すべきである。
 さらに、人は誰でも他人から好かれたいと願っている、嫌われたいと思っている人はいないと思う。そこで人間関係構築のポイント、人に好かれるコツにはどんな事があるだろうか。
 ①常に明るい雰囲気を心掛ける。
 ②相手に対する温かい関心を示す。
 ③話をよく聞いてあげる。
 ④相手の良い点を褒めてあげる。
 ⑤心の寛さと気配り等がある。
 極力実行を心掛けているが十分ではないので反省している
 最後に、常に肯定的に楽天的に考える習慣を持つ事を提唱したい。与えられた困難を災難と受け取るか試練と受けとるかでそれ以後の人生の展開が大きく変わってくることになる。皆様 同窓会活動も陽転思考でいきましょう。


『言葉には力がある ―思索の秋に思う―』   在京会津高校同窓会会長 石田桂久

平成25年11月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 暑い夏から爽やかな秋となる季節が好きである。この初秋のしめやかな感じが何とも言えない。読書、思索に適した季節でもある。年中慌ただしく仕事に追われ多忙な毎日を過ごしており、心静かに思いを巡らすことが無い。せめてこの季節に瞑想の時を創りたい。今回は言葉について考えてみたい。
 最近若者を中心に非常に言葉遣いが乱れており、心を痛めている。例をあげると、自分の両親を他人に話す時「父、母」と言わずに「お父さん、お母さん」、買い物をしてレシートを渡すのに「レシートでございます」と言わず「レシートのお返しでございます」、釣銭ならお返しだがレシートはお返しではないはず等々上げたらきりがない。特に敬語がキチンと使えていない現実がある。
 言葉の乱れは心の乱れであり、心のあるべき基本姿勢の欠落ではないかとさえ思われることもある。言葉には大きな力があり温度もある。言葉の温度は心の温度である。「一つの言葉で傷ついて一つの言葉で癒される」と言う。
 47歳で亡くなった作家・池田晶子さんが「言葉は道具なんかではない、言葉は自分そのものなのだ」と言っているがまさしくその通りである。また「言葉には、人の心という現実を動かすだけの力がある」とも語っている。言葉には魔法と言ってもいい力がある。そこで提案をしたい。
 一つは正しい言葉遣いを心掛けること、もう一つはプラス言葉を毎日声に出してしっかり使うこと。人生は言葉通りに推移すると言われる。「充実している」「挑戦しよう」「まだ若い」等のプラス言葉を声に出し、逆に、マイナス言葉「疲れた」「やってられない」「もう年だ」等は決して使わないようにしたい。プラス言葉の発声が充実した人生の創造に大きく貢献する事を確信している。特に「ありがとう」という感謝の言葉は一日何回でも口に出したい。人生の好転につながると言われている。
 言葉のことを書いたので関連する「話力」について話力総合研究所所長・永崎一則先生に学んだことをご紹介したい。話し下手である私は話し上手(話し方上手ではない)になりたくて話力総合研究所の門をたたいた。話術でもなく、話芸でもない、話し方でもない、「話力」とは何か。話す、聞くという対話の総合力であり、対話において話の効果に与える影響力を「話力」と言い、心格力、内容力、対応力の三つの力から成り立ち、三つの力の相乗であると習った。そこで自分の話し下手の原因が分かった。自分は話し方が下手で話し下手と思っていたが、然に非ず、特に心格力―心の豊かさ・温かな人間性、内容力―話すべき豊富な知識と内容、が未熟であったという事を思い知らされたのである。
 つまり、人間が未熟者であった。結論として、話し上手になるには絶え間の無い自己啓発により心の豊かさを追い求め、人間性に磨きをかけること、見聞を広めて、知性の密度を上げ多くの知識の吸収が最重要と合点したのである。そこに対応力(話し方はその一部)が備われば申し分ない。これからも話力を高めることに精進していくつもりである。
 同じ学び舎で学んだ同窓会会員同士切磋琢磨して豊かなコミュニケーションを築いていきたい。話力がその一助になれば幸甚と思っている。
 蛇足になるが、コミュニケーションというと言葉が思い浮かぶ。確かに話は言葉でなされるが、実は話の成果はその他の要素が大きいといわれている。態度、服装、表情、ゼスチャー等の視覚的なもの、語調(音声、調子)も大事である。そこで日常の心がけとして、明るい挨拶、さわやかな返事、キチンとした後始末を習慣となるよう徹底して励行したい。
 この原稿を執筆中、当同窓会の副幹事長として縁の下の力持的に貢献して頂いた越尾修君の訃報が届いた。まだまだ若いこれからの人生…言葉を失う。心から安らかなるご冥福をお祈りする。合掌

『会長就任のご挨拶』   在京会津高校同窓会会長 石田桂久

平成25年11月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 会員の皆様におかれましては、愈々ご清祥のこととお慶び申し上げます。日頃より、当同窓会の活動に関しましては温かいご理解とご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 さて、私こと、この度4月の総会におきまして、会長のご指名をいただきました。大変立派な先輩諸氏が沢山おられるなかで、私ごときが会長という大役をお引き受けし、重要な任務を果たすことができるものかどうか不安で、身の引き締まる思いで一杯でございます。しかし、お引き受けしました以上、この誇りある在京会津高校同窓会の名に恥じる事のないよう、微力ではございますが、同窓会及び母校発展の為、誠心誠意努力して参る所存でございます。何卒、ご指導、ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
 振り返りますと平成24年度は私ども同窓会にとって、かってない大きな悲しい出来事がございました。
 一つは昭和63年4月より昨年8月まで会長として私どもをご指導下さいました川島会長の昨年12月のご永眠でございます。
 川島会長には皆さまお一人お一人が大きな学びをいただいたことと思います。小生も「愚直に義と情を弁へ、どのような苦難にも耐えることこそ、会津に生まれ、学び育った者の誇りである」と愚直と忍耐の会津魂と「人生で大事なものは笑顔と謙虚である」という川島会長のお言葉を自らの行動訓として参りました。長年に亘り、尊敬すべき偉大なる先輩の謦咳に接しえたことの幸せを今改めて噛みしめております。川島会長のご逝去は、まさに「巨星墜つ」の感じでございますが、私ども同窓会は川島会長の高邁な精神をしっかりと受け継ぎ、価値ある新しい在京会津高校同窓会を築くために、渾身の努力を傾むけることが課せられた責務であると決意するものであります。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 二つ目は、長い間事務局として粉骨砕身のご活躍を頂きました阿部事務局長のご令室、阿部和子様が本年1月ご他界されたことでございます。これまでの同窓会活動がスムースに実践できたことは阿部和子様の献身的なお働きがあったからこそでございます。本当にお世話になりました。ご功績に感謝申し上げ、安らかにお眠り下さるようお祈り申し上げます。
 近年、天変地変をはじめ、日本国内はもとより世界中で、予想もしないような事件が起きておりますが、このような時こそ私たちにとって大事なものは何かと見直す機会を与えられたということでもあると思うのでございます。
 皆様それぞれに人生において大事なものをお持ちだと思いますが、多感な青春を共にし、会津魂を学んだ会津高校卒という共通点は、自分の歴史の中で大事なものの一つではないかと思う次第でございます。
 私も仕事柄、様々な会合を持っておりますし、皆様も様々な会合にご参加されていると思いますが、それらは多かれ少なかれ、直接間接に何らかの利害関係を念頭に置いたものでありましょう。
 しかし、この同窓会は、利害関係なく心おきなく語り合える場だと私は考えております。会津高校卒というキーワードでつながる絆が、本同窓会の活動の基盤でございます。この基盤が卒業生同士を高めあい、在学生の支援、母校の発展につながるものと確信いたしております。
 今後とも、この同窓会が皆様の心の安らぎの場となりますようまた皆様の参加しやすいよう多彩な活動を企画していきたいと思っておりますのでご参加ご協力のほどよろしくお願い申し上げご挨拶といたします。

「卒寿」を迎えて回想する数々   在京会津高校同窓会会長 川島廣守

平成24年11月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 作詞者の「天牛将富」なる人は存じ上げないのですが、台所の壁に長い歳月を経た手ぬぐい風の横長の布に次のような詩が掲げられているのです。標題が「ぼけたらあかんで、長生きしなはれ」という題で、老人への応援という内容で洗いものをしながら元気が出るのです。「憎まれ口に泣き言に、人の陰口、愚痴言わず他人のことはほめなはれ、いつでもアホで居りなはれ。若い者には花もたせ、一歩さがっておることや、いずれお世話になる身なら、いつも感謝を忘れずに、どんな時でもへえおおきに、お金の欲は捨てなはれ。生きているうちに、ばらまいて山ほど徳を積みなはれ。昔のことは忘れなはれ自慢ばなしにわたしらの時はなんて鼻もちならぬ忌言葉。わが子に孫に世問さま、どなたからでも慕われるええ年寄りになりなはれ、ぼけたらあかんそのために何かーつの趣味をもち、せいぜい長生きしなはって、ええ年寄りになりなはれ」とある。お手伝いさんも勉強になりますね、と始終声を出して読んでいますと喜んでおられるよっで人情を弁えた内容に魅かれます。
 私は古典を撰んで読んでおります。就中、孔子の「論語」を請論するほどに読んで親しみを感じ楽しく読み続けております。そうしておりますと読むたびに深い含蓄のある内容であることを教えられるから嬉しくなるのです。「論語」の中で好きな文章は「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず」とあります。孔子の成長の過程をよく示した言葉だと思います。孔子の自叙伝といってもよいわけです。
 さて人問の心は本当に面白い。見えもしないのに大きくなったり小さくなったり、明るくなったり暗くなったりします。その心の動きによって気持ちがいろいろに変わるのが人間です。例えばマイナスの状況であってもプラスに考えるわけです。言葉の使い方によって自分を明るく強くする方法を採るべきであろうと思います。「人は言葉を持つがゆえに人である」といわれます。そのように言葉は人にとって非常に重要な役割を果たしてくれます。そのーつを紹介したい。「しか」と「も」の使い方です。文字の数はーつの違いだけですが、それだけでプラスとマイナスの明暗の差は天地の開きほどの差になります。これ「しか」できない。これ「も」できる。響きに大きな差があることを感じます。「しか」の方は人生が暗くなるのに対し、「も」は明るくします。これ「しか」できない。これ「も」できる。「も」を使うと次々と仕事が出て来ても、何でもこなせる自信さえも感じます。「しか」の方は自分自身に「も」を言い聞かせてください。意議的に言い統けられるのです。そうすることで気持ちが明るくなり、自信を生むことになります。
 感じることは心が動くことです。心が動けば体も動きます。人は誰でも感動する心を持っている筈です。諦めは禁物です。誰にも長所と短所があります。
 会長在任二+四年の永き年月、皆さん本当に有難うございました。諸兄姉皆様の益々のご健康をお祈りして筆を摘きます。

太く長く楽しい人生を願って   在京会津高校同窓会会長 川島廣守

平成24年6月発行 在京会津高校同窓会会報 表紙の言葉

 思えば過ぎし旅路は坦々たる安易なものではなかったが九十歳(卒寿)を算えるに到った。約四年にわたる戦争体験を南方戦線で経てきた。加えて、足掛け四年に及ぶ外交官(在ユーゴスラヴィヤー等書記官)の経歴をも踏んできた。口シヤ語での生活には非常な難儀を経験した。これもまた縁であり運でもあろう。懐かしく振り返る人生と巾しても過言ではあるまい。老いは自然の成り行きである。日々これが老いるというものなのか。成程、これが年を寄るということなのかとは知らなかった。知らなかった白分と付き合っていくのは日々興昧津々である。
 長生きすれぱこその人生経験であ負。柔軟な梢神の持主なら仮令、体が多少衰えたとしても気持ちまで衰えてしまつことはまずあるまい。びしっと腰を立て背筋をぴんと伸ぱして歩く姿勢は美しく決まる。そのようなときの歩きなら歩くにつれて自尊の心というか、ここに吾ありといいたげな高揚した気分になる。ご承知の如くり日々是好日中とい箴言がある。今日という日は明日はない。人生は一日一日の根み重ねである。しかも今日という日は二度はない。自分が人のため世のために白分が役に立つことができる貴重な一日が今日なのである。
 過ぎたことは変わらない。が、明日は変わる。人生の主人公は心であり、自分だけなのだから明るい明日を夢みて心を大きく動かしたい。
 白梅と吉野桜がいま満開であるにあと二日は持つまい。蜂が日の出と共に梅と桜を訪ねて来る。花と蜜を求めて懸命である「喜怒哀楽」の鳴声が聞こえるようだ。花と青い空と蜂とが自然の中で楽しい騒動を演じている様子が見える。春は花冷え、花曇り、春の雨と風など芽生える樹木の若葉を揺すりながら渡ってゆく豪華な季節である。がタ暮れにそこはかとなき春愁がふと心をよぎる。そのような心の屈するとき「魂合へる友と語ればあしざまに言はるるさえもをかしかりけり」という。心を虚しくし足るを知って尊敬と愛情のある芳醇な人問関係の中に生き、混迷する時代を乗り越えていきたい。会津の戊辰戦争の歴史を学び、先人の遺吉と忍苦の人生をなによりの遺産として感謝したい。
 世に「分相応」という言葉がある。人が考えることで、いとも単純なことのよっに語ることが多い。が、しかし分相応の人生観を実践することは容易ではない。「自分はこれで十分だ」という「知足の梢神」がしかと持って生きるとは諺に「蟹は甲羅に似せて穴を据る」というが、それは生きる知恵といっていい。「憾曜電」という高名な幕末の歌人に惹かれて久しい。その清廉なる人柄に魅了されるのは一切の世俗的な職業を捨て、歌詠みだけの生活に没入したのである。「独楽吟」(五十二首)福井藩の藩主松平春嶽からの仕官の要請をも拝辞した精神の崇高さに感銘を禁じ得ないのである。
たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべてものをくふ時

たのしみは常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴きしとき

たのしみは物識人に稀にあひて古しへ今を語り合う時

たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食ひてひにあたる時

たのしみはとぼしきままに人集め酒飲め物を食へという時

たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき

この歌にみられる心のゆとり、心ひとつの買きどころ、つまり心の持ち方次第でたのしみはいつも穏やかで笑みのある生き方に幸せを感ずることができるのではなかろうか。
 この歌人は「嘘いうな、物ほしがるな、体だれるな」と子供にいつも訓えていたのである。心の寛い温かい豊かな感受性の持ち主。「正直」「知足」「健康」という人生の三則を信条とした人である。
 「独楽吟」を読むたびに、他に生活の資を持たない貧しい生活の中で歌い統ける明るさはまさに「人生の達人」といっていいのではないか。様々な苦労というか生きることの難儀を楽しみに変えてしまっ強い梢神力に拠るものであろっ。結びとして重複するが曙覧の思想である「嘘いうな」「物ほしがるな」「体だれるな」との二原則を素にし、それを「至誠の梢神」「知足の梢神」にまで高めて一生を送った人として尊敬し深く学んで筆を梱く。