高校20回2泊3日の台湾

楡の会(高20回)台北3日間の旅

 高校20回生のうち、在京者を中心とした親睦会を「楡の会」と称して、年間数回のイベントを行っている。旅行会も毎年実施しており、今年は、5月28日~30日の2泊3日の台湾(台北)旅行を楽しんだ。以下はその旅行記である。

<5月28日 羽田空港から出発>

 新設された羽田空港国際線ターミナル3階出発ロビーに楡の会メンバー12名が集合。8時50分集合であったが会津から参加のKY君は早朝6時には到着した。宇都宮から参加のKM君は早朝の高速バスで駆け付けたので昨晩3時間しか寝てないよと嘆く。出国検査時にカバン内になぜかライターが4個も見つかり暫らく調べられた。
 5月28日には台湾に台風直撃の予報もあったが、幸いにも逸れたようでエバー航空のエアバス機は定刻通り10時50分に出発した。

<台北松山空港へ到着>

 小雨がぱらつく中、松山空港に13時30分、スムーズにランディングし現地係員が迎えてくれた。1939年生まれの陳さんは、流暢な日本語を話す御爺ちゃん。
  「三日間、おつき合いよろしくお願いいたします。」と言われて内心、美人係員を期待していた皆は、少々がっかりした様子。ところが後日、予想外の展開になるとはだれも想像できなかった。

<民芸品店経由でホテルへ>

 専用マイクロバスで移動。両替所で1~2万円両替し、民芸品店へ入る。以前に台湾にきたことのある女房からのアドバイスで「最初の民芸店は高い」と聞いていたが、無料のお茶やお茶菓子の説明を団体で受けて、ついつい買う羽目になってしまった。カラスミは1100元前後。日本円換算で約3000円、日本で買うよりはかなり安い。高山烏龍茶や美人茶などなど旅の最初に1万円分以上買ってしまった。
 マイクロバスは台北車站(駅)横のコスモスホテル(天成大飯店)へ。14階のツインの部屋に2人ずつ入る。部屋は広くまずまずのレベル。トイレにはTOTOのウオシュレットが付いていた。これはうれしい。水道の水は飲料可だが外国人は飲まない方が良いらしい。冷房はきき過ぎだが風量調整だけで温度調整ができない。TVは日本製の液晶だが、映像はハイビジョンではなく、チャンネルも3つ程度。日本語放送も1チャンネル流れていた。幹事が事前に用意してくれた地下鉄カードを使って早速街に出ることになった。

<夜7時のフカヒレまでに腹を空かすことに>

 BK君が現地のコンビニで買った使い捨てライターを使おうとしたらガスがまったく入っていない。ガス別売りか、それとも不良品かはわからない。地下鉄はきれいで非常に安い。初乗り運賃は20元、約60円である。市民のマナーも良く、我々に席を譲ってくれたりする。それは単に年寄りに見えただけかも。タクシーも非常に安いので気楽に使える。日本車が多いが左ハンドルである。道路はバイクが多く、交通事故が多いらしい。法的には禁止されているバイクの3人乗りも時々見かけ、混雑した中をかなりのスピードで飛ばしている。地下鉄2駅で龍山寺に着いた。市民の多くも経本をわざわざ持ってきて熱心にお経をあげていた。日本人よりも信仰心が高いと感じた。
 次に、孫文の偉業を称える国父紀念館に向かった。巨大な建物の中の大きな孫文像の左右に各ひとりずつ衛兵が銃剣を持って立っている。彼らは身長175~185cmのエリートだそうで、一時間は微動だにしないそうだ。最初はてっきり人形かと思ったが、よく見ると瞬きはしている。総面積4万㎡の中山公園内に建てられており、市民の憩いの場として踊ったり凧を揚げたりしていた。
 次に三国志の武将關羽を祀る行天宮に向かった。關羽は商売の神なので商売繁盛を願って多くの参拝者が訪れていた。5cmほどの三日月状のものを二つ持って、それを地面に振って占っている様子であった。やっと18時を過ぎ、待望の台北101に向かった。台北101は高さがドバイのタワーに続き世界第2位であり508mもある。最寄りの市政府駅から見るとすぐ近くに思えるが歩いて20分近くも掛かった。隣のブロックから乗ったのでエレベータは60階までで、連絡通路を通って第2のエレベータに乗り継いで行く。残念ながら当日は曇りで夜景はくっきりとは見えなかった。レストラン欣葉101は満席で、地元のお金持ちと観光客で占められている様子であった。
 幹事が日本からインターネットで事前に料理を注文していたが、テーブルに置かれていたお品書きと相違があったので担当者を呼んだが、日本語も英語も通じず、やっと名物のフカヒレだけは追加させることができた。インターネットの受注担当者と店との連絡の手違いのようであった。日本人客は多いと思われるが日本語の通じるスタッフがいないのには驚いた。名物のフカヒレはさすがにおいしかった。台湾ビールを飲んだ後、BK君の注文で8年ものの紹興酒2本と10年もの紹興酒2本を飲み比べた。BK君に言わせると紹興酒は砂糖など入れずに常温で飲むのが正道。安い紹興酒は砂糖で味をごまかすことになるらしい。飲み比べればなるほど10年ものはまろやかな味になっていた。地下鉄でホテルに戻ったが、15,000歩は歩いた。1408号室に有志が集まり、現地の酒やサントリーの山崎12年ものなどをワイワイと飲んで12時前には疲れて各自の部屋に戻った。

<5月29日はバスツアー>

 今日のみは、バスをチャーターした観光旅行で、朝7時からホテルのバイキング朝食後、8時半に出発の予定。ところが朝食時、KM君の具合が急に悪くなった。症状から判断すると、脳梗塞の疑いもあったため、救急車を呼んで病院に搬送するとともに、付き添いを医療に明るいBK君に頼み、10人で旅行を続行することとなった。なお、通訳等のために、現地係員の陳さんに病院への同行を依頼した。
 当初、バスツアーのガイドはてっきり男性と思いきや、何とすばらしいスタイルの美人だった。皆、KM君を心配しながらも九ふん(にんべんに「分」と書く。)に出発した。九ふんは金鉱山の当時にできた街で、一年のうち300日は雨が降るとのことであったが幸いにも晴れていた。マイクロバスから途中、公営の大型バスに乗り換えて到着した。休日は混雑するのでマイカー規制が行われているそうである。それにしても狭い山道を超スピードで飛ばすのにはびっくりした。
 九ふんの入り口にはセブンイレブンがあり、1時間後にここに集合ということで自由散策に出発した。商店が立ち並ぶ山道を大勢の観光客と共にぞろぞろと登った。
 阿妹茶楼 (あめおちゃ)という「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の館のモデルとなった店でお茶を楽しんだ。高山烏龍茶の入れ方を教わりながら、御茶菓子を食べた。ひとり300元と高いので残したものは全てホテルに持ち帰り、夜のつまみとなった。不潔な店で試食するとお腹をこわすかもとガイドに注意されてはいたが、カラスミなどは最初の民芸品店より30%は安かった。総じて土産物は安い。台湾映画「悲情城市」の舞台となったレストランの近くで全員で記念撮影した。
 昼食までにはまだ時間があったので、途中、基隆(キーロン)にある中正公園という公園に立ち寄った。ここも高台にあって港が望め景色がよかった。
   会津村にあるものより小規模の観音像があり、像をバックに記念撮影をした。広場は遊園地になっており子供たちが遊んでいた。
 昼食は、噂の鼎泰豊(ディンタイフォン)本店へ向かった。到着すると店の前は長い行列ができていた。予約してあったのでそのまま2階の席に着くことができた。
 小龍包はさすかに美味しかったが、すぐ皿を片付けられて回転が早く、落ち着いて食べることはできなかった。大勢が待っているから仕方がない。

<故宮博物院から淡水へ>

 故宮博物院へ向かう。見学時間が1時間程度なのでヒスイの白菜や角煮が展示されている3階へ直行。世界四大博物館のひとつなのだが、足早に見て回らざるを得なかった。最大の宝が白菜と角煮であることが食の中国の証なのだろうか。
 次に忠烈祠へ向かう。抗日戦争などでの戦死者を祀っている。皆は、門のところでもっぱら衛兵交代の儀礼を見学。マイクロバスで近くの駅(士林駅)まで送ってもらい、ガイドの林(リン)さんとはここでお別れとなった。
 そして地下鉄で台湾のベニスといわれる淡水へ。淡水の駅から夕食を予約したレストラン「淡水紅樓」を徒歩で目指す。人混みを逸れないように進む。結構な距離を歩くと丘の上に紅樓があった。川面の夕焼けが有名だが案内された3階からは見えず、おまけに曇り空で夕焼けはお預けとなった。1階では生演奏が行われ若者たちが集っていた。料理は安い割に結構美味しかったとの皆の感想。
 帰路に有志で士林夜市に立ち寄る。台北最大の夜市らしい。夜の九時半過ぎというのに、大勢の人で賑わっている。色々な食材を使った料理が所狭しと並んでいるが、満腹でかつ独特の臭い(本当は匂い)が辺りに充満し食欲は全くわかない。慣れの問題だろう。臭豆腐というやつがクサヤみたいな臭いだが食べるとうまいそうだ。しかし誰も食べていないので何とも言えない。地下鉄では飲食禁止で、ガムもだめ。車内は荷物を置くための網棚はない。忘れ物は減るだろう。
   ホテルに戻り、BK君にKM君の容態を聞く。幸いにも麻痺などは少なく、奥さんとの日本との電話のやり取りでは言葉もスムーズとのこと。全員で協議の結果、医療知識豊富なBK君が付き添いで退院まで残ることになった。感謝感謝!!!

<最終日、中正紀念堂・総統府へ>

 荷物をフロントに預け、地下鉄で中正紀念堂へ向かう。25万㎡の公園に立地した蒋介石のメモリアルホールである。両端には国家音楽堂と国家戯劇院が控えている。30日は晴天で3日間の中で最も暑い日であった。
 ここから歩いて総統府へ向かう。現役の行政府なので入館検査は厳重だ。日本人向けの案内人がついて懇切丁寧に解説してくれた。故宮よりも時間をかけて見学した。馬英九総統の執務室は3階にあるとのこと。ハーバード大出のエリート(法学博士)で現在60歳。歩いて昼食に向かう。地下鉄西門駅前の資生堂近くの地下の日本レストランに入る。丼物や蕎麦を食する。たった2泊3日だったが、還暦を越えた男たちの駆け足団体旅行は波乱万丈であった。 坂 直登(高20回)