在京高八回同期会

十九名が参加

高八回第12回在京同期会が十月十三日(土)市ヶ谷東京閣にて開かれた。
参加者(別掲)は十九名。
会は遠路会津から馳せ参じてくれた元会高教諭千葉宏君が遥々会津から持参してくれた銘酒及び、在京同窓会提供の銘酒にての乾杯により開宴。司会は幹事の一人遠藤暢喜君が務めた。
最初会長大槻博君が挨拶。自身医者でもある立場から養生訓を披露。
次いで懇親に入る。中には数十年ぶりの会合者もおり各所に話題に花が咲いた。次いで各人がそれぞれ近況を報告。家族・健康等大いに盛り上がりを見せた。最後に再会を約して宴を閉じた。

<参加者>
相田敬明・安齋健治・五十嵐隆雄・板橋良暁・遠藤暢喜・大槻博・小椋厚・小椋将史・菊池良輝・木野寿一・佐々木善徳・佐藤幸雄・十二所尚武・鈴木新王・平井寛則・古川義祐・堀津美智子・渡部眞之助・千葉宏
(在京幹事一同)

高八回生傘寿会開催

齢八十!人それぞれの想いを胸に六月二十六日(日)東山温泉東鳳にて

 齢八十!人それぞれの想いを胸に、高八回〝傘寿の会〟が六月二十六日(日)東山温泉東鳳にて開かれた。参加者は三十五名。
 司会は貝沼昭夫・千葉宏両君が務めた。
最初に物故同期生及び恩師の冥福を祈って黙?。片山栄君の指揮の基、校歌斉唱のあと幹事を代表して吉田尚武君が挨拶。齢八十を迎えられたことの慶賀と今後の健勝を祈る旨を呼び掛けた。
 次いで平山昇君が紋付・袴姿も凛々しく〝仕舞〟を演舞、喝采を博した。乾杯の音頭は遠路、九州から馳せ参じた土田充義君。懇親に入る。
 程なく武藤善一君より不参加者から寄せられたご祝儀が披露され、続いて希望者一人ひとりの近況スピーチがあり、当会以降も多くの〝集まり〟希望が述べられた。
 懇親中、長年の消防業務を称えられて顕彰された古川洋逸君に花束の贈呈もあり参会者の祝福を受けた。
 懇親も尽きなかったが、学而会歌・凱旋歌を高らかに合唱、中締めとして二次会に移行した。
(在京幹事一同)

在京会高八期会

平成二十七年十月四日(日) 、 在京会高八期会を浅草・魚眠荘にて開催

 平成二十七年十月四日(日) 、 在京会高八期会を浅草・魚眠荘にて開催した。
当日は本会の会長で医師・大槻博君が開宴前、別室にて希望者の医療相談に応じた。
 会は遠藤暢喜君が主に司会に任じ進行。
 最初遠路会津の銘酒を持参して駆け付けてくれた千葉宏君が音頭をとり会津銘酒にて乾杯。
次いで各自が近況を報告。
相応の活動を披露した。今回は女性(卒業次五名)の初参加があり、旧交を温めた。来年は傘寿を迎える歳でもあり、互いの健康を念じて盛会裡に散会。二次会に移行した。
 参加者(十六名)=安倍正純・安齋健治・遠藤暢喜・大槻博・小椋厚・小椋将史・小野田邦安・菊池良輝・木野寿一・佐々木善徳・鈴木新王・成田仁・坂内孝成・古川義祐・堀津美智子・千葉宏。
(写真=佐々木・文=菊池)

高八回在京同期会

高八回在京同期会が十月五日(日)浅草「魚眠荘」にて行われた

 高八回在京同期会が十月五日(日)浅草「魚眠荘」にて行われた。
 当日は台風十八号の接近が報じられており、その影響が案じられたが無事開催。
 会は遠藤君の司会の許、開会宣言の後、会長大槻君が挨拶。長年医療に従事してきた経験での「健康」を留意したスピーチ。そろそろ傘寿を迎える我々であるが、まだまだ世間に寄与できる余地が十分にありの感触を与えてくれた。
 次いで地元から馳せ参じてくれた千葉宏君(会津高教諭)が母校の現状などを交えての挨拶。暫し母校に思いを馳せた。引き続き同君の音頭にて一同乾杯。懇親会に入る。
 宴たけなわとなり各自が近況を報告、日頃の研鑽等多士済々であった。「歓談は尽きず、唯、時の過ぎるのを惜しむのみ」であったが、一端中締め、二次会に移行、さらに懇親を深めた。
 唯、当日は大型台風の接近が予想された為、比較的遠距離に居住する本来出席予定者が自身の体調をも考え、かなりの余裕をみて不参加を申し出てきた。恨めしきかな台風であった。
 なお、体調不良の為参加出来なかった矢仲重信君が自身在職中に携わった医療画像診断装置の開発を中心とした著書が幹事から紹介された。希望者には本人より進呈されることにて数人が希望を申し出た。
 二次会は時間をやや短縮。来年を約して散会した。
※参加者=安齋健治・五十嵐隆雄・遠藤暢喜・大槻博・菊池良輝・佐々木善徳・鈴木新王・成田仁・松江剛三・千葉宏     菊池良輝(高8回)