平成28年度文化講演会『音楽を通しての人間教育』 エル・システマ室室長 佐藤正治(高21回)

「共に奏でる」をキーワードに音楽の素晴らしさを話される佐藤講師

 平成28年度在京会津高校同窓会文化講演会は、エル・システマ室 室長 佐藤正治(高21回生)を講師として7月6日(水)午後6時よりグランドヒル市ヶ谷において開催されました。佐藤正治氏は1975年一橋大学社会学部を卒業され、畑違いの梶本音楽事務所に入社。 1999年4月より取締役副社長として活躍されています。主に海外アーティストの招聘および日本制作企画の海外提供などを担当されておられる方です。演題は『音楽を通しての人間教育』、「PLAY TOGETHER」をキーワードに、鶴城小学校での音楽との出会いから犯罪等から遠ざける力を宿す音楽を多方面で発信し活躍されている様子を淡々と話をしてくださいました。講演を聴いた人は、音楽の持つ力を見直すことや音楽に親しむきっかけがつかめたのではないかと思います。講演の内容の要旨は下記に記載したとおりです。詳しい講演内容については11月発刊される在京会高同窓会報に掲載される運びとなっています。
 1)KAJIMOTO 入社前
    小学校での音楽との出会いは劣等感を持つことから始まった。
    それが中学からオーケストラに加わり、市民オーケストラでの劇的デビュー。
    水泳と音楽を両立させていた当時、オリンピック選手も夢見る。
    大学オーケストラに参加、ウイーンフィルのホルン奏者を目指す。
 2)世界的ピアニストマルタ・アルゲリッチとミュージック・アゲインスト・クライム
    音楽は人を愛する気持ちを助長させ、人を殺める気持ちを萎えさせる。
    小学校等でのアウトリーチの実践とその限界。
 3)エル・システマとの出会い
    2005年南米ベネズエラでホセ・アントニオ・アブレウ博士に出会う。
    犯罪と貧困で希望を失った子どもたちを音楽で救うエル・システマの現場を視察。オーケストラは社会の縮図、それゆえ合奏の中から社会性を備える子供たちを育成する。
 4)広島 とMusic for Peace
    天皇皇后両陛下ご臨席
    NHKTV全国放送
    広島交響楽団平和音楽大使アルゲリッチと2020年の広島国際平和オーケストラ構想
 5)PLAY TOGERTHER について
    楽しいオーケストラと高齢者のオーケストラ
    漢字文化圏オーケストラ
 6)終わりに
    寛容さを育てる
    PLAY TOGETHER PLAY TO GET HER ?

「東京閣」貸し切りで盛り上がった懇親会

 講演会は午後6時~7時まで1時間開催され、参加者は70名でした。その後、ホテル西館「東京閣」に場所を移し懇親会が開催され61名が参加しました。石田会長の講演御礼を含めた挨拶の後、佐藤講師と同級である21回生を代表して佐藤孝一さんの乾杯で懇親会が開始です。21回生は20名の参加で同期の繋がりの強さを感じた次第です。貸し切りの会場でたいへん楽しく賑やかに会が進み、予定された時間(午後9時)になっても盛り上がっていたため「東京閣」が時間延長のサービスをしてくれたほどです。名残尽きない中、大越事務局長の中締め、予定にはなかった高校12回生の長沼種臣氏の指揮による校歌斉唱、応援団長を務められた高校15回生の鈴木忠正氏によるエールでお開きになりました。同窓の仲間でいい時間を共有できました。

佐藤正治氏(さとうしょうじ)プロフィール(高21回生)

1969年会津高校卒業。浅岡賞受賞。
1975年一橋大学社会学部卒業、同年梶本音楽事務所(現KAJIMOTO)に入社。
1999年4月より取締役副社長、2004年11月より取締役シニア・ディレクター、2008年4月より同社プロジェクト・アドバイザー。
主に海外アーティストの招聘(チェリビダッケ、ショルティ、メニューイン、セゴヴィア、ミケランジェリ、グルダ、アルゲリッチ、ポリーニなど)および日本制作企画の海外提供(ルツェルン、ワルシャワの音楽祭など)を担当。
○1997年ドイツ連邦共和国政府から依頼を受け、日本の皇室と政財界VIPを招いた国賓ヘルツォーク大統領主催のコンサートのプロデュースを担当。
○日本の学校内での青少年の犯罪が多発しはじめた1998年、ピアニスト、マルタ・アルゲリッチとともにMusic Against Crime(人を犯罪から遠ざける力を宿す音楽)という理念のもと、2000年秋から来日音楽家による学校や特別養護施設、老人ホームなどへの訪問演奏(アウトリーチ活動)を実施。その多くの音楽家が文化庁文化交流使に任命される。
○2002年2月文化庁長官官房国際課に招かれ、「音楽における国際交流の現状」について講義を行なう。
○2003年6月、スイスの「ゲザ・アンダ国際ピアノコンクール」審査員。
○2005年イタリア政府(チャンピ大統領)よりコメンダトーレ勲章を受章。
○同年前橋汀子演奏会に臨席された皇后陛下の御相手役を務める。
○同年1月に実施したマルタ・アルゲリッチを中心とした「グルダを楽しく思い出す会」の企画が翌年のワルシャワで開かれた「Festival Chopin and his Europe」に取り上げられた。主催者Chopin Instituteの依頼を受けProject Coordinatorを担当。
○同年12月ベネズエラに出張、エル・システマ創設者ホセ・アントニオ・アブレウ博士や指揮者ドゥダメルと会談。(現在までベネズエラには5回出張。)
○2006年1月~6月、東京新聞と中日新聞に24回のコラムを連載。
○2008年ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを日本に招聘。
○2009年4月朝日新聞オピニオン面「私の視点」に「エル・システマ オーケストラ特区試しては」を掲載。
○同年7月31日NHK BS「きょうの世界」にゲスト出演。
○同年メンデルスゾーン生誕200年記念音楽ドキュメンタリーテレビ番組(山口智子主演)の監修を務める。
○2010年「企業メセナの理論と実践」(水曜社)編集・執筆。
○同年4月KAJIMOTO「エル・システマ室」を新設。
○2009年ポーランドの文化大臣Bogdan Zdrojewskiより「CHOPIN 2010 Celebrations Committee」の委員に任命され、2010年の第16回ショパンコンクールの優勝者、ユリアンナ・アヴデーエワを受賞の45日後に日本に招き、NHK交響楽団との共演とリサイタルを実現した。
○2010年マルタ・アルゲリッチによるショパン・シューマン生誕200年記念コンサートを東京で実現、そのライブ録音を東日本大震災復興支援チャリティCDとして発売、1400万円以上の売り上げを被災地の音楽関係者に寄付した。
○2015年3月朝日新聞オピニオン面「私の視点」に「東京五輪 日本の魅力を第九で」を掲載。
〇同年第17回ショパンコンクール優勝者チョ・ソンジンを招き、NHK交響楽団定期演奏会や、東京、上海、広州、北京でのリサイタルを行った。
○これまでに一橋大学および同大学院、長崎大学、昭和音楽大学、桐朋学園短大、上海音楽院、国立音楽大学、東京大学、東京藝術大学で客員講義を行なう。
○ショパンコンクールの入賞者ピアニスト達のマネジメントを通じてポーランドとの交流を続けており、特にマウリツィオ・ポリーニとマルタ・アルゲリッチとは30年以上の協力関係を続けている。

平成27年度文化講演会『健康長寿と生涯現役でいこう、ピンピンコロリの法則』首都大学東京大学院名誉教授 星旦二(高23回)

1.健康規定要因

 ロンドン大学留学中に「なぜ日本人の平均寿命は延びたのか」と訊かれました。私が医療とかいろいろ言ったところ「違う」と反論されました。ロンドン大学の先生たちは、「きっと明治維新の時代に、読み書きそろばんを全ての国民ができたのは日本しかありませんでした」ということでした。「国土が全部緑に囲まれているのも日本しかありません」とか「経済力も大きい」ということも議論になりました。日本人の勤勉さであるとか、仏教であるとか、いろんな要素が重なり合って、この今の長寿国を支えているのではないか、こう考えています。
 かかりつけ歯科医師がいて、BMIが高く、コレステロールが約250mg/dl以上の人が最も死なないということをご存じですか。杉並・世田谷と、足立・葛飾では、どちらのコレステロールが高いでしょうか。杉並・世田谷です。コレステロールが高いから血管の壁が丈夫で、破裂しなくなったのです。肌がきれいで、腰が曲がらなくなったのは、ビタミンDの材料がコレステロールだからです。がんの免疫細胞の材料でもあります。

2.なぜ長野県は長寿なのか

 成人の死亡率が青森県の半分しかないのが長野県です。肝臓がんの死亡率が、なんと全国より男女とも4割も少ないことが分かりました。肺がんの死亡率も全国で最下位です。喫煙率も最下位です。医療費は全国最少の県の一つです。
 寝たきりをどうやって減らすかは、入院を最小にして、基本的に高齢者にはしっかり働いていただくことが、結果的に寝たきりを減らすのではないかということです。長野県から学んだキーワードは「最期の日まで長靴を履いていたい!」です。

3.生涯現役研究

 1986年にスウェーデンなどを訪問した時のことです。ちょうどその頃は“大きな施設に集団で”という考え方を変えている時期でした。そこで「次なる課題は何でしょうか。」と尋ねたところ、「それは決まっているだろう。今まで、スウェーデンがやってきことは寝たきりの後追いであった。これから大事なことは、寝たきりの発生予防である。」という答えが返ってきました。「ではどうすればいいのすか」と訊くと「それは簡単だよ。口紅・化粧・身だしなみだ」と言われたのです。
 全国の16の市町村にお願いして、そのまちの高齢者全員をずっと追跡調査しています。「買い物に行く人」は長寿だと思いますか。追跡したところ、何と「買い物に行く人」はほとんど死なないのです。「健康だと思う人」は人は、2万人二年間で20人しか死亡しませんでした。ところが「健康じゃない」と思っている人は340人が亡くなりました。
 WHOがスピリチャル・ヘルスに応用したデータと全く同じ結果でした。
 多摩市13,000人の追跡データですが、ほとんど毎日外出する人は生存が維持されます。ところが滅多に外出しない人は、大体3割近く生存率が落ちてしまいます。口紅・化粧・身だしなみが重要のようです。「是非、嫁に渡した財布を取り返していただきたい」。これが本日のメッセージです。

4.世界の健康支援動向

 世界の健康政策の大きな動きとしてヘルシーシティーとか、ヘルシーカンパニーとか、ヘルシースクールがあげられます。非常に驚くのは、これを大統領や首相自らが先頭に立って頑張っているということです。もうひとつの大きなポイントは、今世界が一生懸命取り組んでいるのは、笑うとか、ヨガとか、エステとか、森林療法とか温泉療法です。最も利用しているのは、高学歴、高社会階層です。
 世界の大きな流れはインフォームド・チョイス(Informed choice)であり、ペーシェント・ファーストです。そして健康の政策を優先課題にする、これが世界の大きな流れだと、思います。何よりも、徹底した予防、つまりゼロ次予防です。年に1回の検診より、毎日のモデルが必要です。大切なことはネガティブな発想よりも、もっとポジティブな発想です。高齢者のあら探しをして喜んでいる場合ではないのです。
大事なことは、楽しく前向きに生きるということだと思います。障がいがあったら、みんなで支える。こういう発想です。皆さん、ご夫婦だと年金を1年間で300万円以上もらえるはずですから、25年から30年近くもらえれば、累積1億円になるわけです。
 最後のまとめです。早世予防と健康寿命を延ばすこと、これが今日のテーマでした。WHOは、もちろん医療も大事であるが全ての分野と手をつなぐことを提案しています。私は、もう少し健康政策を重視する話だとか、健康を支援する環境を整備しようという話だとか、口紅・化粧・身だしなみ、そして財布を握りしめ、他人には渡さないということも是非加えて欲しいと思っています。
 今日の話のいくつかが、私のホームページからダウンロードできるようになっていますのでご覧下さい。また、ワニプラス出版から、「ピンピンコロリの法則」という本も出ていますので機会があったらお読み下さい。
【星 旦二氏のプロフィール】

平成26年度文化講演会『戦場記者が見てきた世界』NHK解説主幹 柳澤秀夫(高24回)

 子供の頃、火災があるとサイレンの音で血が走り現場へと駆け出し、とんでもない遠くまで行ってしまったこともあります。早い話が野次馬でした。これが記者生活37年の原点です。NHKに入局し初任地は横浜でした。警察担当として“サツ回り”に精を出し、特ダネを求めて「夜討ち朝駆け」もやりました。夜、警察官の自宅で帰りを待ち、帰宅を確認して訪ねるのですが、毎度門前払い。雨の中で待ったこともあります。傘を使うか、ずぶ濡れで待つかで相手の対応に差がありました。ある時、ずぶ濡れで待ったのですが、玄関の隙間から「ずぶ濡れじゃねぇか。ま、入れ」ということになり、それをきっかけに親しくなり、「泊って行け」という間柄にまでなりました。この方とは今も年賀状のやり取りが続いています。身をもって信頼関係の大切さを知り、記者生活の糧となっています。
 その後、沖縄に転勤。イランのイスラム革命があった79年で、学生によるアメリカ大使館占拠事件が起きました。沖縄は中東とは関係ないと、のんびり構えていたのですが、嘉手納基地内の機関紙に救出作戦に向かった特殊部隊の犠牲者を悼む記事が報じられたのを見て、極東という枠を超えた戦争の現実を知りました。これが戦場記者の始まりだったのかもしれません。その後東京の外信部に異動しフィリピンのマルコス政権の崩壊を目の当たりにしました。これがきっかけで、タイのバンコク駐在の特派員になり、カンボジアの内戦取材にどっぷり浸かりました。海で囲まれた日本とはまるで違う、陸続きの国境の意味も考えさせられました。国境を挟んで、こちらと向う側では全く状況が異なる。火事場の規制線ではありませんが、先に行ってみたい気持ちを抑えることができず、国境を超えカンボジアの前線にも足を運びました。
 軍にエスコートされ、畦道のような一本道を延々と歩くこともありました。周囲のジャングルからは、反政府軍の狙撃兵が狙っているところです。一歩でも足を踏み外せば、そこは地雷原。逃げ道がないところにいると、自分がいかに無力か、実感しました。当時は、取材しても、東京にニュースを送る手段が十分ではありませんでした。電話やテレックスはあったものの、いつ繋がるか分からない代物でした。しかし現地では自分のペースで好き勝手ができました。それが衛星通信を使えるようになると、「今、何処にいる?」「定時連絡を!」と、東京から頻繁に連絡が入るようになり、正直、うんざりしたものです。
 91年の湾岸戦争は初めてリアルタイムで戦争が茶の間に入ってきました。イラク現地からのリポートは英語。生放送は同時通訳が日本語に翻訳するという手法でした。当時、イラク情報省には日本語ができる担当者がいませんでした。このため、リポート内容を検閲するために、日本語の使用を禁止したのです。担当官には事前にリポート内容を英文で渡し、本番ではそれを日本語で伝えると言ったのですが拒否。原文通りに話しているのかチェックできないと言うのです。このことは「戦場には信頼がない」ということを、私に痛感させました。戦争を伝える難しさもあります。何人死んでも一人一人の死の重みは同じはずです。百の言葉より、傷ついた人や死体の映像の方が解り易いこともあります。しかし映像にも限界があります。爆音などのインパクトに圧倒され、視聴者にカメラのフレームに入らない周囲のことを的確に伝えることができなくなることもあります。映像で映しだしているものは「事実」です。でも必ずしも「真実」ではない!そんなことも実感しました。戦場の凄惨さにマヒしてしまい、もっと強い刺激が欲しくなることもありました。「自分だけは大丈夫」という落とし穴にもはまります。友人の記者が「この戦争はダーティだ」と言いましたが、「戦争はみなダーティ!」「War is Dirty !」ではないか。戦争は二度と繰り返さないと言いますが、一つ終わってもまた起きる。戦争に終わりがあるのか?戦争が終わったと言えるのは「戦死者」だけというのが皮肉な現実です。
 日本に戻り、ニュースウオッチ9のキャスターを務めているときに体調を崩し降板。その後職場復帰すると、上司から朝の番組をやってみないかと打診され「あさイチ」に出演するようになりました。「八重の桜」の綾瀬はるかさんの隣に座るという役得もありました。番組の中で家庭内のことを調子にのって暴露し、戦場では踏まなかった地雷を家で踏んだこともありましたが、世界観が拡がりました。あるテレビドラマの中で物理学者役の福山雅治さんが「結果には必ず原因がある」と格好よく言っていました。物理学者は現象を観察して仮説を立てそれを実験で証明する。記者も似ています。現実をよく見て取材で材料を集めて、それをもとに筋道を立てて実証する。私も最近、福山さんにあやかって「ニュースには必ず過去に種がある」をモットーに記者遍路を続けています。

<柳澤 秀夫氏プロフィール>
昭和52年NHKに入局。横浜、沖縄各放送局記者を経て昭和59年から外信部記者。バンコク、マニラ各特派員、カイロ支局長を歴任し、カンボジア内戦、湾岸戦争などを取材。平成14年に解説委員・中東情勢を担当。9.11同時多発テロ、イラク戦争などに関するドキュメンタリーや討論番組でキャスターとして活躍。ニュースウオッチ9を担当中に体調を崩し1年余り休養。平成24年6月解説委員長、本年6月現職

平成24年度文化講演会『・福島県の放射能汚染と住民の避難、・福島の復興に向けた課題、・原子力損害賠償と復興について』原子力規制委員長 田中俊一(高15回)

●講師紹介 田中俊一氏(工学博士、高15回)

 昭和42年4月 日本原子力研究所入所、同14年7月 理事、東海研究所長、同16年1月 副理事長、同19年1月~21年12月 原子力委員会委員(委員長代理)、現在 NPO「放射線安全フォーラム」副理事長。原発事故発生後、原子力損害賠償紛争審査会、環境省環境回復検討会の各委員、福島県の復興検討会、除染アドバイザー。(2012年9月19日原子力規制委員会初代委員長に就任。)

 六月六日(水)午後7時から8時45分まで、新宿・エスティク情報ビル21階会議室にて開催された。参加者47名。講師は原子核工学の専門家田中俊一氏。昨年三月の東京電力福島第一原子力発電所事故後の、福島県民と福島県がおかれている状況をふり返り、福島県がよみがえるための課題とは何か、福島県がよみがえるために何が必要か、何をなすべきかについて、状況写真、科学的データ、行政の指針やそれに対する批判などを織り交ぜて、熱く語られた。

●講演要旨

 内容は「一、福島県の放射能汚染と住民の避難、二、福島の復興に向けた課題、三、原子力損害賠償と復興について」の章立てで、一では生々しい事故状況の写真やセシウムの汚染濃度分布図を示し、住民の避難基準、・避難指示区域の見直しについて説明された。
 特に力説されたのは二であり、福島の復興に向けた課題として①「放射能の除染」、②「放射線 ・放射能に対する不安の克服」を取り上げられた。
 まず、①では、避難住民が復帰するための除染、放射線被ばくの不安を緩和するための除染、農業等を営むための除染、元の環境を取り戻すための長期的に取組む除染(山林等)の実例を写真で示しながら、「農水省は、昨年から農地除染や放射能調査をしているが、対策を示さずに作付制限を課しているだけで、福島の農家は先の見えない不安を抱いている。」との指摘もあった。
 次いで、除染に係る国の取組みとして除染特別措置法と除染等のロードマップを示し、除染の予算関係では「第二次補正予算から2179億円が除染関係に割り当てられ、約1840億円が福島県の基金として配算されたが、未だに十分に一銭も活用されず、除染が進んでいない。」との実情も吐露された。
 さらに、除染に伴う廃棄物処理・処分に係る国の義務と住民の責任分担に触れ、除染が進まない理由も挙げて、「国と県は、除染は住民の私有財産に手をかける作業であり、住民から顔の見える自治体が主体となって、住民の協力を得なければ不可能であることを理解することが必要!」と強調された。
 続く②では、内部被ばくが怖いという不安を軽減するための知識として、「私たちは日々の生活の中でかなりの放射能を摂取している。1950~1960年代には大気中の核実験による放射能が環境を汚染し、私たちの体の中にはセシウムやストロンチウムが相当量蓄積されていた。体に効くといわれるラジウム(ラドン)温泉は、一リットル当たり110ベクレル以上の放射能が含まれていることが認定基準で、ここでは沢山の放射能を吸入するが、私たちは昔から健康や治療のためにラジウム温泉を利用している。」こうしたことを思い起こして不安を払拭してほしいと強調された。
 また「国民は国が示した計算式を使って個々に被ばく線量を評価し、さらには年間1ミリシーベルト以下でなければ我慢できないという呪縛に陥っている。この呪縛を解きほぐすことができなければ、日々の不安は長期に続く。大事なことは、実際に個々人が被ばくしている線量の実態を知ることと、その数値の意味を理解することである。」とも力説された。
 その上で、健康的な生活習慣を、すなわちタバコを控え(できれば禁煙して)、酒もほどほどに、食べ過ぎ(男性)・痩せすぎ(女性)に注意し、野菜を食べてよく運動するといったことに心がけると、現在程度の放射線被ばくによるマイナスは簡単に取り戻せ、健康で長生きできるはずです。」と結ばれた。
 最後に、原子力損害賠償と復興についても触れられ、「福島県は必ず復興できる!」との希望も込めて講演を終わった。その後、幾つかの質疑応答がなされ、参加者一同、原発事故に対する理解を深めて満足げであった。

平成24年度文化講演会『海上自衛隊勤務を通じて感じたこと』鈴木秀典氏(高17回)

 7月13日(水)午後6時半~9時に、川島廣守会長ほか37名の参会を得て、グランドアーク半蔵門にて行われた。野口英世記念会館が閉鎖されたため、会場を変え「文化講演会と納涼の夕べ」として開催されたものである。

講師・鈴木秀典氏(元海上自衛隊一佐 高17回)

(講師紹介)
南会津町田島生まれ。艦艇勤務(専門職種=艦砲・ミサイル射撃)。護衛艦「あきづき」(三佐)、同「みねゆき」(二佐)、同「あおくも」艦長(二佐)、舞鶴地方総監部監察官(一佐)などを経て、佐世保警備隊司令(一佐)を最後に定年退職。現在、鹿島建物総合管理(株)人事部。

(講演要旨)

 冒頭、自己紹介の後、東日本大震災のときの海上自衛隊の報道されていない活動の実態について語られた。当日、横須賀地区では昇任筆記試験を実施中で、これをやり遂げた後、受験者たちは急いでそれぞれの艦に戻り、そのまま緊急出港。現地では、喫水の深い護衛艦等は沖合でヘリコプターも動員して広域捜索活動を、喫水の浅い掃海艇等は陸岸近くで、水中処分隊員がゴムボートで、瓦礫で汚れ水中視界不十分で危険な中、被災者等の捜索・救難及び遺体捜索・収容に当たったこと。満載していった物資をホーバークラフトやヘリコプターで被災地に陸揚げ・輸送したことなどについての内容であった。
 以下、四面海なる我が国を囲む広大な海域の防衛を、海上自衛隊の定員4万9千人という東京ドームの定員(5万5千人)にも満たない人数でこなしている具体的内容について、ご自身の豊富な経験を基に、艦船勤務幹部の生活を軸にお話されたが、紙面の制約で残念ながら大部分を割愛せざるを得ない。
 まず、幹部(三尉)に任官当時の日本一周の近海航海および世界一周の遠洋航海でのエピソードを披歴。次いで艦船勤務、すなわち護衛艦での訓練=①対潜戦(ASW)、②対水上戦(ASUW)、③対空戦(AAW)=の具体的内容であった。専守防衛を国是とする我が国は敵基地などを攻撃できる武器を持っていないので、万一の時は米軍に頼らざるを得ない。米海軍が恐れるのは敵潜水艦からの攻撃で、海上自衛隊はそれを無力化することに重点を置いて対潜戦を最重要視しており、その活動の詳細な解説がなされた。
 さらに、大部隊の出撃訓練、船団護衛の要領などの話があった。この一環として、昭和60年の「能登半島沖不審船事件」では、法の制約で不審船の前にロープなどを投げ入れてプロペラにからませることぐらいしかできなかった。これを教訓に海上保安庁法第29条に「船体射撃」が加えられ、平成13年の「九州南西海域工作船銃撃事件」の時には功を奏し、自沈した不審船は、後刻北朝鮮の工作船と判明した。このように、「やるときはやる」という国家としての毅然とした態度がないと、中国や北朝鮮やロシアは主張を次第にエスカレートしていく。かつ、国家のためにと思って努力しても、帰ってきたら、自国の法律によって、場合によっては殺人罪や傷害罪、器物損壊罪で訴えられる可能性があるのでは、自ずと決断も鈍ってしまう。
 さらに、『「政治」は血を流さない戦争であり、「戦争」は血を流す政治である。』を信条に貪欲に国益を追求してくる列国と渡り合うに際し、どうしても「戦争」を避けたいのであれば、我が国の政府には、「政治」を「血を流さない戦争」と改めて認識し直し、もっともっと毅然とした態度で戦略的に行動してもらいたいとも強調された。
 そして、皆様に、是非、自衛隊の立場と、頑張っている後輩たちにご理解を賜りバックアップしていただきたいと願うばかりです、と締められた。
 艦船勤務の現場・現実を聴き、日本の防衛問題の難しさを改めて肝に銘じた。
   ~まとめ 遠藤暢喜(高8)

平成23年度文化講演会『「愛する母校」を語る』安部哲夫氏(高13回)

 恒例の文化講演会が6月9日午后6時半から、東京・千駄ヶ谷の野口記念会館で開かれた。この日の講師は、母校教諭時代の昭和54年、会津高校男声合唱団を全日本合唱コンクール全国大会で初の金賞に導いた安部哲夫氏(高13回)。
 安部講師は、野球を志した時代に始まって現在の(株)会津磐梯カントリークラブ(CC)の経営を預かるまで、経歴を区切りながら「愛しい母校」と題して川島会長以下約40名の会員を前に講演した。

 講演は、①会津高校の生徒②高校教員③会津高校の教員④県教育委⑤会津磐梯CC責任者と時代を分けて進められた。圧巻は、上記の金賞に始まる3年連続の全国大会金賞獲得とそこにいたるユニークな指導ぶり。
 男子高校で合唱をやることについて、生徒はもちろん保護者の意識の改革が必要だったこと、思い切って土・日の練習は休みにしたこと、生徒一人一人の個性をいかすよう努めたことなどが明らかにされた。
 また、それを集約した「待つ」、「許す」、「叱る」という対応の使い分けは、人材養成一般に通じるものとして注目された。
 講演の途中、初の金賞獲得時の自由曲「ゆうやけの歌」合唱を講師持参のポータブルCDプレイヤーで鑑賞した。力強くかつ繊細な男声合唱の響きが半世紀近い時間を超えて蘇った。
 終了後、講師を囲んで懇親会が開かれた。安部氏が武蔵野音楽大を受験した際、指南役を務めた同大OB菊地俊一氏(高5)の発声で乾杯し、安部夫人と小野高校時代の教え子の女性2人も加わって歓談した。
  会報委員長 丹藤佳紀(高11回)