暑い夏から爽やかな秋となる季節が好きである。この初秋のしめやかな感じが何とも言えない。読書、思索に適した季節でもある。年中慌ただしく仕事に追われ多忙な毎日を過ごしており、心静かに思いを巡らすことが無い。せめてこの季節に瞑想の時を創りたい。今回は言葉について考えてみたい。
最近若者を中心に非常に言葉遣いが乱れており、心を痛めている。例をあげると、自分の両親を他人に話す時「父、母」と言わずに「お父さん、お母さん」、買い物をしてレシートを渡すのに「レシートでございます」と言わず「レシートのお返しでございます」、釣銭ならお返しだがレシートはお返しではないはず等々上げたらきりがない。特に敬語がキチンと使えていない現実がある。
言葉の乱れは心の乱れであり、心のあるべき基本姿勢の欠落ではないかとさえ思われることもある。言葉には大きな力があり温度もある。言葉の温度は心の温度である。「一つの言葉で傷ついて一つの言葉で癒される」と言う。
47歳で亡くなった作家・池田晶子さんが「言葉は道具なんかではない、言葉は自分そのものなのだ」と言っているがまさしくその通りである。また「言葉には、人の心という現実を動かすだけの力がある」とも語っている。言葉には魔法と言ってもいい力がある。そこで提案をしたい。
一つは正しい言葉遣いを心掛けること、もう一つはプラス言葉を毎日声に出してしっかり使うこと。人生は言葉通りに推移すると言われる。「充実している」「挑戦しよう」「まだ若い」等のプラス言葉を声に出し、逆に、マイナス言葉「疲れた」「やってられない」「もう年だ」等は決して使わないようにしたい。プラス言葉の発声が充実した人生の創造に大きく貢献する事を確信している。特に「ありがとう」という感謝の言葉は一日何回でも口に出したい。人生の好転につながると言われている。
言葉のことを書いたので関連する「話力」について話力総合研究所所長・永崎一則先生に学んだことをご紹介したい。話し下手である私は話し上手(話し方上手ではない)になりたくて話力総合研究所の門をたたいた。話術でもなく、話芸でもない、話し方でもない、「話力」とは何か。話す、聞くという対話の総合力であり、対話において話の効果に与える影響力を「話力」と言い、心格力、内容力、対応力の三つの力から成り立ち、三つの力の相乗であると習った。そこで自分の話し下手の原因が分かった。自分は話し方が下手で話し下手と思っていたが、然に非ず、特に心格力―心の豊かさ・温かな人間性、内容力―話すべき豊富な知識と内容、が未熟であったという事を思い知らされたのである。
つまり、人間が未熟者であった。結論として、話し上手になるには絶え間の無い自己啓発により心の豊かさを追い求め、人間性に磨きをかけること、見聞を広めて、知性の密度を上げ多くの知識の吸収が最重要と合点したのである。そこに対応力(話し方はその一部)が備われば申し分ない。これからも話力を高めることに精進していくつもりである。
同じ学び舎で学んだ同窓会会員同士切磋琢磨して豊かなコミュニケーションを築いていきたい。話力がその一助になれば幸甚と思っている。
蛇足になるが、コミュニケーションというと言葉が思い浮かぶ。確かに話は言葉でなされるが、実は話の成果はその他の要素が大きいといわれている。態度、服装、表情、ゼスチャー等の視覚的なもの、語調(音声、調子)も大事である。そこで日常の心がけとして、明るい挨拶、さわやかな返事、キチンとした後始末を習慣となるよう徹底して励行したい。
この原稿を執筆中、当同窓会の副幹事長として縁の下の力持的に貢献して頂いた越尾修君の訃報が届いた。まだまだ若いこれからの人生…言葉を失う。心から安らかなるご冥福をお祈りする。合掌
<表紙写真の言葉>
「想いを馳せる」 吉川直佑(高13回)
中秋の名月の9月19日、県内は高気圧に覆われ夜空にくっきりと満月が浮かんだ。「八重の桜」人気で多くの観光客が訪れ復興のシンボルとなっている鶴ヶ城でも、市民らがお月見を楽しんだ。真っ白な天主閣が柔らかな光を浴びて幻想的な姿を見せる。
ドラマの主人公新島(山本)八重は開城の前夜、三の丸雑物庫の白壁に歩み寄ると髪に刺した簪を手にし、ゆっくりと文字を刻みつけていった。
あすの夜は いづくの誰かが ながむらむ
なれしみそらに のこす月かげ
と、詠んだ八重も同じような月を見ていたのかもしれないと当時に想いを馳せて静かにシャッターを押す。