平素より同窓会の活動・運営に関しましてご支援ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。 平成28年度総会もお蔭様で盛会裡に終了することができました。有難うございました。
さて、会報54号刊行にあたり最近感じていることの一端を述べてみたい。最近悲しいことに本来の日本人の美徳であった節度と慎ましさが無くなってしまったと思えるような事件が毎日のように報道されています。一昔前までは日本を訪れた外国人がその精神性の高さに驚き、尊敬の念を抱いて称賛したものでした。それが昭和20年8月の大東亜戦争終結以後、政治や経済をはじめ教育や家庭まで米国流に統制されました。その後独立をしたものの占領中に洗脳されたままの状況が現在まで続いており改善がなされておりません。例えば日本人の美徳であった「親孝行」「信義に生きる」「和を以って貴しと為す」こと等が忘れられつつあるように思います。こんなことが続けば日本は沈没してしまうでしょう。沈没を回避するために日本の古き良き伝統に支えられた日本の美徳を取り戻しましょう。 まだ間に合うと信じています。
先ず大義に生きる日本人としての誇りをしっかりと持つことが基本であります。そのためには日本の歴史をしっかりと学び日本人としての伝統的な価値観を体得することが必要です。生きることは学ぶこと能動的な自己啓発が大切であると考えています。
昨今電車に乗ると乗客の約8割近い人がスマホに夢中になっているのが目に写ります。 そのうちの約8割がゲームに熱中しているとのことです。ある著名な評論家が「このスマホ人の群れを眼にすると吐き気を催されてならないので電車恐怖症に罹り電車に乗れなくなった」と言っていますが、私は吐き気は催さないまでも、直感的になにか大事なものが欠落しているように感じています。そういえば川島廣守前会長が電車の中で昔は書物を読んでいる人が多かったか、現在は携帯電話(当時はスマホと呼ばなかった)に夢中になっている人が多く今後の日本人の思考力に陰りがでるのではないかとお話しなさったことを想い出します。本居宣長が詠んだ「をりをりにあそぶ暇はある人の暇なしとて書読まぬかな」がありますが、なぜ「活字離れ」が起きたか、その原因の一つにテレビの普及があるといわれています。テレビを見るのに何一つ努力はいりません。IT機器の多機能化がそれを助長する情勢になっています。スマホもテレビも映像は、読書と比べ受動的であり目を開けていれば見ることができます。読書の場合は自分が能動的に読もうとしない限り頭には入りません。学力と理解力と想像力が要求されるのです。一般論としてですが、テレビのなかった時代の学生と比べ、生まれた時からテレビがあった世代は思考力の養成に一段と意識的な努力が必要であり気の毒であると云われています。
そこで能動的な自己啓発の第一は何と言っても読書であります。人間は経験を積み重ねて自分を成長させていくわけですが、我々が実際に経験できることは、時間の制限もあり地理的な制限もあり、限りがあります。しかし、読書をすることにより年代を超えて地理的な条件もクリアーして実に何十倍、何百倍の学びを得ることができるのです。
読書によって人間形成を果たした人は実に多い、自己実践の糧として「人生いかに行くべきか」の知恵と勇気を培うことができるものと確信いたします。 最後に何といっても日新館の「什の掟」が取り戻すべき日本の美徳の基本と言っていいのではないかと考えます。(但し現在では戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬを除く) また、随筆家志賀かう子さんが祖母から教わったこととして「ほかの時はいざ知らず、ごはんをいただく時は、お膝をくずしてはならん。それがごはんへの感謝と礼儀です」があります。食以前に作り手を含めた農があり、天地自然の恵みがあることへの感謝が日本の精神であります。 日本の伝統文化に誇りを以って歴史を学び、日本の美徳を取り戻しましょう。