7月13日(水)午後6時半~9時に、川島廣守会長ほか37名の参会を得て、グランドアーク半蔵門にて行われた。野口英世記念会館が閉鎖されたため、会場を変え「文化講演会と納涼の夕べ」として開催されたものである。
講師・鈴木秀典氏(元海上自衛隊一佐 高17回)
(講師紹介)
南会津町田島生まれ。艦艇勤務(専門職種=艦砲・ミサイル射撃)。護衛艦「あきづき」(三佐)、同「みねゆき」(二佐)、同「あおくも」艦長(二佐)、舞鶴地方総監部監察官(一佐)などを経て、佐世保警備隊司令(一佐)を最後に定年退職。現在、鹿島建物総合管理(株)人事部。
(講演要旨)
冒頭、自己紹介の後、東日本大震災のときの海上自衛隊の報道されていない活動の実態について語られた。当日、横須賀地区では昇任筆記試験を実施中で、これをやり遂げた後、受験者たちは急いでそれぞれの艦に戻り、そのまま緊急出港。現地では、喫水の深い護衛艦等は沖合でヘリコプターも動員して広域捜索活動を、喫水の浅い掃海艇等は陸岸近くで、水中処分隊員がゴムボートで、瓦礫で汚れ水中視界不十分で危険な中、被災者等の捜索・救難及び遺体捜索・収容に当たったこと。満載していった物資をホーバークラフトやヘリコプターで被災地に陸揚げ・輸送したことなどについての内容であった。
以下、四面海なる我が国を囲む広大な海域の防衛を、海上自衛隊の定員4万9千人という東京ドームの定員(5万5千人)にも満たない人数でこなしている具体的内容について、ご自身の豊富な経験を基に、艦船勤務幹部の生活を軸にお話されたが、紙面の制約で残念ながら大部分を割愛せざるを得ない。
まず、幹部(三尉)に任官当時の日本一周の近海航海および世界一周の遠洋航海でのエピソードを披歴。次いで艦船勤務、すなわち護衛艦での訓練=①対潜戦(ASW)、②対水上戦(ASUW)、③対空戦(AAW)=の具体的内容であった。専守防衛を国是とする我が国は敵基地などを攻撃できる武器を持っていないので、万一の時は米軍に頼らざるを得ない。米海軍が恐れるのは敵潜水艦からの攻撃で、海上自衛隊はそれを無力化することに重点を置いて対潜戦を最重要視しており、その活動の詳細な解説がなされた。
さらに、大部隊の出撃訓練、船団護衛の要領などの話があった。この一環として、昭和60年の「能登半島沖不審船事件」では、法の制約で不審船の前にロープなどを投げ入れてプロペラにからませることぐらいしかできなかった。これを教訓に海上保安庁法第29条に「船体射撃」が加えられ、平成13年の「九州南西海域工作船銃撃事件」の時には功を奏し、自沈した不審船は、後刻北朝鮮の工作船と判明した。このように、「やるときはやる」という国家としての毅然とした態度がないと、中国や北朝鮮やロシアは主張を次第にエスカレートしていく。かつ、国家のためにと思って努力しても、帰ってきたら、自国の法律によって、場合によっては殺人罪や傷害罪、器物損壊罪で訴えられる可能性があるのでは、自ずと決断も鈍ってしまう。
さらに、『「政治」は血を流さない戦争であり、「戦争」は血を流す政治である。』を信条に貪欲に国益を追求してくる列国と渡り合うに際し、どうしても「戦争」を避けたいのであれば、我が国の政府には、「政治」を「血を流さない戦争」と改めて認識し直し、もっともっと毅然とした態度で戦略的に行動してもらいたいとも強調された。
そして、皆様に、是非、自衛隊の立場と、頑張っている後輩たちにご理解を賜りバックアップしていただきたいと願うばかりです、と締められた。
艦船勤務の現場・現実を聴き、日本の防衛問題の難しさを改めて肝に銘じた。
~まとめ 遠藤暢喜(高8)